ワーキングホリデービザから学生ビザへ更新。人生初の貧乏生活からの鬱

ひらのたけし自伝

こんにちはひらのたけしです。

憧れのバンドをきっかけに渡豪したぼく。ギターリストとしてメルボルンの地で演奏するべく、ワーキングホリーデービザから学生ビザに更新し滞在延長を決断しました。ここまでが前回までのストーリーです。

貧乏して夢を追うってカッコいい美談だけど、本当にキツかった。

俳優やミュージシャンがすごく苦労して成り上がる話は、テレビ見ていて昔から憧れていました。貧乏や苦労が夢の現実への肥やしになる。そして、苦労した時期が「あんなことあったよな!」ってなることが、美談でかっこいいと思っていました。

ただ、本当の貧乏や苦労って笑えないです。泣きます。

ワーキングホリデービザから学生ビザになり、ぼくは学生になりました。通っていた学校は、市内でも学費が安い語学学校。現在その学校は廃校となっています。

正確な時間は覚えていませんが、授業は9時〜15時頃まで。その後は、17時から日本食レストランでアルバイト、主に料理のお手伝いをするキッチンハンドをしていました。17時から22時頃まで働き、家に帰るのは23時頃。

家に帰ってから学校の宿題、勉強をしていました。就寝すのは深夜の2時頃、そして朝7時に起き8時に家を出て徒歩で30分の道のりを経て学校へ行っていました。

起きて、学校、アルバイト、勉強のルーティーンがぼくの体と思考を縛りました。

お金と時間とビザに追われる恐怖

学校の授業料は日本で貯めたお金とアルバイト代で賄い、日々の生活・家の家賃などはアルバイト代のみで工面していました。1ヶ月800ドルほどは稼いでいたと思います。

家は3人でシェア。ぼくの部屋が狭小ルーム。扉開けて一歩でベットに寝れるほど狭い部屋で1ヶ月の家賃は250ドルと激安でした。

朝食・昼食は近くのパン屋さんで安売りされているパンを大量に買い、自分で毎日サンドイッチを作り学校へ持参していました。夕食はアルバイト先の賄いが出るのでとても有難かったです。

買い物普通のスーパーでは買わず、ビクトリアロード付近のアジア人が多い市場で週一回の買い物で節約していました。

日々の生活にお金がかかり、心に余裕がない焦った生活をおくっていたのを今でも覚えています。そんな中、バンド活動をするためのメンバー探しは難航も難航、超難航していました。やりたいことが前に進まず、日々の生活をこなすためだけに行動している自分自身が嫌でした。

夜寝時は、恐怖に包み込まれる毎日。学生ビザが1年更新だったので、音楽活動で早く目に見える結果が欲しかった。1日1日が終わるということが、ビザの期間が迫るということ。ぼくのの心は恐怖と「なんとかしてやる」というカラ強気が頭をグルグル回っていました。

気づけばメルボルンで鬱に

メルボルンに来た目的を達成できない自分に心はダウンしていました。友達のmach pelicanと会っている時も、みんながぼくの悪口を言っている。って勘違いするほどの精神状態。夜は不眠症で寝れず、朝方眠くなる。学校は毎日遅刻、食欲もなく、それでも毎日学校へ行きアルバイト、勉強してバンドメンバー探しての日々を諦めず続けていました。

アルバイト先から家まで、ボロボロの状態で歩いてたのを今でも覚えています。そして、家のソファーで泣いてました。自分に対して悔しくて、何にもできない自分が嫌いで。目的があってメルボルンに来ているのになんの結果も見出せない自分が許せなかった。

 

つづく

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