もう一度みんなと一緒に生活したいな。イギリス人・オーストラリア人・日本人のシェア生活

ひらのたけし自伝

こんにちはひらのたけしです。

ミュージシャンになるべくメルボルンへ渡ったぼく。ワーキングホリデービザから学生ビザに更新し、メルボルンでの生活に奮闘していました。金銭的な生活苦に陥り、体力・精神力を削がれる生活をしいられ鬱になりました。ここまでが前回のストーリーです。

人との関わりが心をいやす

メルボルンで初めて体験する外国人とのシェア生活。当時の日本ではまだなじみのない「シェア」という言葉。

ワーキングホリデーが半年を過ぎたあたりから、初めて家探しをはじめました。それまではmach pelicanのドラマーToshi君の家に住んでいたりと、日々の生活で英語を使わない生活をしていたんです。

実は当時の家に泥棒が入り、警察沙汰になったこともあり、toshi君とぼくは家を出ることになりました。このタイミングでぼくは、日本人以外の人と生活しようと思い、メルボルン大学近くの本屋さんの掲示板をチェック。ここにはたくさんの張り紙があり、すべて学生向けのシェアハウス情報が掲示されていました。

その中で、イギリス人の女性と南アフリカ系オーストラリア人がシェアメイトの告知を掲載していました。しかも「We like japanese」と記載もあり、電話してみることにしました。

(右から2番目の家)

(リビングルーム)

勇気を振り絞って電話をしてみましたが、うまく話せる訳もなく、なんとか家を見に行く時間だけは把握し、見に行くことに。家はスミス・ストリートからほど近くの細長い一軒家。ノックして入るとケートという女性が出迎えてくれました。小さくて可愛らしい女性という印象でした。

(ぼくの部屋)

家の家賃が月250ドル、部屋は狭小、ほぼベッドで部屋のスペースはなくなるような部屋でしたが、当時のぼくには安さが一番だったので、ここに決めました。幸い他の誰も見にきている人はおらず、入居がぼくに決まりました。ケートが日本の文化が好きな親日家、以前の入居者が日本人ということもあり、日本人のシェアメイトを探していたみたいです。

(左Hardonsのレイ、左Regurgitatorのpeter)

ケートも南アフリカ系オーストラリア人のカートも大学に通う学生。ケートは医療系の学生、カートはIT系の学生、ぼくはロックンロールバカの留学生。

この3人との生活が2年続きましたが、今でも思うんです。またみんなと同じ家で生活したいな。って。

人種は違うけど、本当の家族と思えた

現在、私生活で毎日英語を話す生活をしていますが、英語が話せるようになった基盤は、このシェア生活があったからだと思います。新しく習った英単語をシェアメイトと毎日使う。朝起きて英語を話す。寝るときに心の中や頭の中で話している言葉が自然と英語になる。と英語の上達がめちゃ早くなりました。

(左ケート、当時20歳のぼく、右ケートの弟のベン)

ぼくの性格上、人種関係なく人との距離を狭めることが得意で、シェアメイトとも仲良く和気藹々と生活をしていました。全員なにかしら小さな悩みを抱えながら生きていて、恋の話、学校の問題、人間関係、将来の悩みなど、出せばいくらでも出てきそうですが、毎日3人でたくさんのトピックについて話し合っていました。というよりも、自分の中の蟠りや感情を吐き出していました。話していると不安を解消できたり、勇気が湧いてきたりと本当に家族以上の関係が築けた生活でした。

ぼくが鬱になっていとき、ケートが花から作られた睡眠導入剤をくれたり、ぼくが不安に思っている内容を聞き出してくれたりと寄り添ってくれました。するといつのまにか鬱的状態から知らずのうちに脱出していました。

このとき知りました、人との関わりが人間には大切なんだって。心のバランスを崩した時こそ、人との関わりがある程度必要なんだなって。

シェアメイトが不法滞在者だった。

そんな優しいケートも実は大きな不安を長く心に抱えてる人物でした。それは不法滞在者だったんです。イギリス人でもオーストラリアで生活するにはビザがいります。

当時のケートが28歳、メルボルンに来たのが20歳。最初は観光ビザで滞在していたようですが、そのまま28歳までメルボルンで生活しているようで、しかも大学までいってる。書類とかどうなってるの?って思いますが、通ってるみたいです。さすがオーストラリア、そのへん適当なんです。

ぼくが初めて不法滞在者ということを聞いたのは、ぼくの学生ビザの申請用紙をケートに確認してもらっている時でした。「ビザの申請はちゃんとしないとね」ってケートから言われて、「なかなか面倒くさいね」ってぼくがいうと、「わたし不法滞在なの」っていきなりのカミングアウトを受けました。ほんと人って見かけだけじゃわかんないなと思いましたw

ケートは家に誰かが訪ねてくる時、恐怖を感じると言っていました。お役人が来て強制送還されるんじゃないかと怯えていたそうです。

最終的にケートは、友達と空港へ行き、自分が不法滞在ということを打ち明け、特に重い罰を課せられることもなく、自国イギリスへ帰り、大学〜大学院へ行き、現在はスコットランドで内科医をしています。

シェアメイトが分裂症だった。

もう1人のシェアメイトのカート、中学生の時に日本語を少し習っていたらしく、自慢げに日本語を数字で数えてくれるお茶目な奴。ある日、外出から帰ってきたカートは様子が変でした。 リビングにいるぼくに気づいていないのか、目の前にいるのに挨拶もなく、一緒にいたケートに突然罵声を浴びせ始めました。その表情、声はいつもと違い別人格のようで、その瞬間、火花が飛び散るような瞬間でした。カートは部屋に戻り、ケートは泣きながら部屋に戻る。ぼくは呆然とソファーに座っているばかり。

翌日ケートに事情を聞くと、カートが分裂症で、今でいう統合失調症だと教えてくれました。同居して2年の間、度々おかしくなることはありましたが、3人で助け合い、時には一緒に病院へ行くこともありました。

そんなカートは現在、都会を離れ自然に囲まれた中でITエンジニアとして活躍、看護婦さんのパートーと仲良く一緒に暮らしています。

偶然は必然といいますが、過ぎ去った過去には不必然なんてない

偶然、張り紙を見て決まった家。そしてそこに住む同居人との生活。お金なんてなく、貧乏だったけど、毎日が刺激的で楽しかった。

(ニット帽の彼がカート、赤Tシャツがクエントン、一番右がジェンティーラ)

最初はぼくがあまり英語がうまく話せないので戸惑っていたケートとカート、でもぼくがMach peliacnや友達を招いて家でパーティーすることをきっかけに、2人との距離は縮まりました。きっと2人はこう思ったんだと思います。「たけしには面白い友達がたくさんいる」「きっとたけしは良い奴なんだろうな」って思ったんじゃなかと思います。

ぼくには兄がいませんが、この2人が「ぼくの人生のお姉さんとお兄さん」。そう思える出会いの話でした。

 

つづく

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