帰国と引き換えのビッグチャンス

ひらのたけし自伝

こんにちはひらのたけしです。

メルボルンで音楽活動するために滞在していたボクですが、自分のバンドを作って活動することもできず、Mach pelicanのローディーとして活動する日々が続いていました。

そして、最終的に日本へ帰国することを決断をしました。

なぜ帰国することを選んだのか?

ビザを更新し続けることが非常にしんどかったです。学生ビザを更新するには学費を払い続けなければなりません。お金とビザが問題でした。

帰国を決断してからMach pelicanのサポートメンバに起用された

帰国を決断したことをMach pelicanに伝えた数日後、リーダーのトシ君といつものように話している時に、ぼくが「ステージの上でギターリストとしてメルボルンで存在したかったな」とポツリ会話の中で言ったんです。今でもその言葉が口からこぼれた時のことを覚えています。

そのことを察しれくれたのかわかりませんが、トシ君が他のメンバーがいる前で「タケちゃんが帰る前に一緒に数回ライブしようか!コンピレーションのレコーディングもあるし一緒に撮ろう」と言ってくれたんです。

嬉しいけどちょっぴり恥ずかしかったのを覚えています。

タイミングと流れが大切

トシ君の一言からぼくはMach pelicanと演奏する機会を得ましたが、きっと最後に良い思い出を作ってあげよう。と思ってくれたのかもしれません。以前自分からトシ君に「ギターリストとしてmach pelicanでギターを弾きたい」とお願いしたことがあります。その時は、スタジオ練習のみのメンバーならいいけど。という答えでした。

その時その時のタイミングや流れがあると思うんですよね。掴んた流れに乗ることが一番大切なのかなということをこの機会に感じました。もちろん自分から自発的に主張することも大切ですが、相手ありきのことですし。

もしあの時。と思うことがある

タイミングと流れは最終的な結果ですが、もしあの時ぼくがこうしていれば、とタラレバの想像することがあります。もっと早い段階で自分をアピールしていれば状況は変わったんじゃないのか?このことを考えると敗北感に苛まれ、38歳の今も少し引きずっています。

最後に

そして単なるローディーがギターリストとしてステージに立つ日がやって来ます。今から思い返せば、メルボルンに住んでいる状況は準備段階で、ここから内容の濃い展開が待っていようとは、予想もしませんでした。

 

つづく

 

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