必死に演奏した「ひらのたけし」

ひらのたけし自伝

こんにちはひらのたけしです。

ミュージシャンになるためにオーストラリアのメルボルンに来ました。そして渡豪し2年半が経ちメルボルンに滞在し続けることを最優先して来たぼくですが、帰国するという決断をしました。そして帰国の決断と引き換えにMach pelicanと一緒に演奏する機会を得ました。

Mach pelicanとスタジオ練習

帰国前までに決まっているライブは3本。スタジオ練習は1回のみですがぼくは全曲弾ける状態でした。いつ演奏するチャンスが来てもいいように準備はできていました。あとは本番でパフォーマンスできるかどうかです。

mach pelicanとの初めてのスタジオ練習はとてもスリリングで楽しかったです。技術的には問題ないですが、バンドの熱量や勢いにぼくがどれだけ付いていけるか、を凄く感じました。今思えば必死でしたね。

演奏の内容は難しい物ではないですが、バンドとして固まっているかどうかがバンドの評価になります。そのあたりをとても気にしていたので、スタジオ終わりにドラムのトシ君に「タケちゃんよかったよ」と言ってもらって安心しました。さすがリーダーの心遣いだと感じました。

モヒカンでライブに挑む

 

右 mach pelicanドラムマートシくん 中 ベストフレンド シンゴくん 右 ひらのたけし

モヒカンにしたくはなかったですが、NOと言えない雰囲気だったんでモヒカンにしました。人生で一度っきりのモヒカン。

ライブ1本目

そして念願のライブの日です。

ライブの場所はビクトリアマーケット近くのパブリックバー。mach pelicanが一時期住んでいたパブです。小さなパブなのお客さんの入りはそこまでありませんが、いい感じにフロアが埋まった中での演奏になりました。

念願のライブなので俺泣くのかな?とか思いましたが泣きませんでした。

必死に演奏しステージ上では時間の流れを感じませんでした。「楽しかった」感情は、演奏が終わってから充実感と共にやってきました。

今思うと、演奏の出来は置いといて只々必死だったと思います

ライブ2本目

そして翌週のメルボルンセントラルでのライブ。対バンはムスタングと知った顔の共演でした。1回目のライブとは違いバンド関係の知り合いや友達が多く見に来ていたので、個人的にメチャ緊張していたのを覚えています。

ステージ上のぼくは必死に演奏するばかりで心に余裕はなかったですね。

ライブ3本目

そして最後のライブはセントキルダーのエスピーホテル。

大好きなH-BLOCK 101との共演でした。お客さんの入りは満員。ステージからフラットメイトの顔や学校の友達・先生や知った顔が多く見えて嬉しかったです。

ドラムのカウントから演奏は始まり、ステージ上に貼っているセットリストが一曲づつ終わっていきます。本当に一曲づつ必死に演奏し、最後の曲目掛けて只々必死に演奏していました。

個人的に自分が演奏した内容は自信をもって良いとは言えるものではありませんでした。ただ、それがその時の実力だった思います。

まとめ

夢にまで見たメルボルンでの演奏。日本帰国という決断をして得た演奏のチャンス。こういう形で得た演奏のチャンスですが、これはぼくが生み出した結果だと思うので悔いはなかったです。

英語も話せない、大したコネもないぼくがメルボルンにきて出会った人たち、成し遂げた演奏はとても大きな財産になりました。

これが始まりとなり、次のヨーロッパツアーや日本での音楽人生に繋がったことは、渡豪の経験があったから。今思い返しても確信が持てるものです。

なので、英語が話せなくても、コネがなくても、自分がやってみたいこと、行ってみたいところには出会いがあります。その出会いの中で自分がどんな決断を行うかが結果に繋がります。

2003年 メルボルン フリンダース駅

*自分が体験したことを綴っていますが語りたくても語れない、表現したくても表現しきれないものもあります。うまく伝えられないですが、なんとなくでもそれを感じていただけたら嬉しいです。

 

つづく

 

 

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